ツイッター以上ブログ未満

かつては日々の食事メモでした。

ぬいぐるみってさぁ、

幼少期、某お笑い芸人のネタ風に言うと幼き頃、自分の周りはたくさんのぬいぐるみで溢れていた。家にいるときはいつも近くに何体か置いて、それで遊んで。ベッドの枕元、ソファの隅っこ、そのへんの床。至るところにぬいぐるみを置いて、あるいは持って回って、どうにかして楽しんでいた。すぐに思い出せるのは白いアザラシのふかふかなやつ。呼び名はゴマちゃん。あのマンガのゴマちゃんである。何をしていたかはさっぱり思い出せない。ただ、ゴマちゃんとウィズ・ヒズ・フレンズなぬいぐるみたちとずっと何かをしていた。そしていつの間にかお別れをしていた。トイストーリー3のような感動的な展開もなく、気づいた時にはいなくなっていた。年を経るにつれ恥ずかしくなってきたのか、趣味じゃなくなってどこかへしまい込んだのか。ベッドを中心に溢れかえっていたアイツらは一体どこへやら。今日になってふと思い返してみたところで、記憶を掘り起こしてみたところで、何も出てこない。寂しいもんだね。

今の自室を見渡すと、ぬいぐるみが何体か目に入ってくる。当時から一新されたニューカマーたちだ。ディズニーには何年も行っておらず、ユニバーサルにも行ったことがなく、キャラってるネズミーなサムシングはあいにく不在であるものの、統一感のない4体がインテリアの一部として飾り付けられている。ひとつはさるぼぼ。飛騨高山のあたりで幅を利かせている赤いヤツで、なにかのご利益があった気がするが忘れた。単純にパッと見がかわいいと思って買ったのを覚えている。もうひとつはニョロニョロ。フィンランドではないどこかの谷に生息しているニョロニョロしたやつで、随分前に人からもらったものである。だからいまだに大事に飾っている。ふと違う方向に目をやると別のヤツらもいて、そいつらは手の長いトナカイとサルである。手が長いなーと思って買った。ただそれだけの理由で部屋にぶら下げてある。

こうしてみるとぬいぐるみは、姿かたちや役割は変われど、意外とずっと自分の生活に根ざしているんだなぁと思えてきた。昔はゴマちゃんで、そのあと恐らく何かを経て、今は手の長いトナカイ。シュール化甚だしい。今後はどうなっていくのだろう。急にテーマパーク通いに目覚めてキャラってるネズミーたちが大集合してしまうかもしれない。なにかのアニメにドハマリして超絶怒涛のオタギークになっているかもしれない。コレクターなスピリットに目覚めて数がハンパないことになっているかもしれない。あるいは全然そんなことないかもしれない。なんにせよ!先のことはわからないが、おそらくこの先もずっと、何かしらの形で、ぬいぐるみ的なサムシングは自分の生活の片隅にチラリと居座り続けるのだろう。そして気づいた時には他の何かと代替わりして、アイツらどこに消えたんだと後年ハテナマークになるんだろう。新陳代謝。輪廻転生。ミニマリストにでも転向しない限りずっと、そんなこんなが繰り返されるのだろう。うん、そんなに悪い気はしない。次に来るのはどんなヤツだろう。先は全く見えないが、なんだか少しだけ楽しみになってきた。