ツイッター以上ブログ未満

かつては日々の食事メモでした。

パリのことで

私は以前パリに住んでいた事があるが、今回の件に関して周りの人たちほど心が動いていない。下手すれば現地に行ったこともないような人たちよりも冷めた反応かもしれない。実感が湧いていないのか、そもそも論として自分以外のことに無頓着な性格ゆえか、得ている情報が少なさすぎるからか。当事者意識がないものについてあまりに関心が薄すぎるきらいがある。

Facebookではプロフ画像をトリコロールにする人が沢山いた。パリ時代に出会った友人の多くはそうしていたし、まだ現地に住んでいて実際に、当事者として事件を経験している人々は日本にいる我々とは異なる気分を味わっているはずだ。雰囲気に流されての変更かもしれないし、思うところあっての変更かもしれない。その点についてはあまり詮索しないようにしている。

事件の第一報を知ったのは日曜の朝だった。Facebookが荒ぶっていたのをよく覚えている。最初はもちろん驚いた。みんな荒ぶってたし。しかし話を聞くにつれその驚きは失われていった。それはまるで中東の内戦のような、自分にとって非現実的すぎるものだったからだ。実際に1年半住んでいた街ではあったが、話の内容があまりに自分のイメージとはかけ離れていた。

いずれ街は修復され、あるいは改修され、今度また訪れる際にはそんな事件があったことすら分からないようになっているかもしれない。あるいは自分が知るよりも発展したパリの姿がそこにあるかもしれない。それを「風化」と言うのだろうか。言うんだろうな。

五反田のカフェ経営者が提唱する「ダークツーリズム」なる言葉があるが、事件の痕跡を実際に見聞きする機会がなければいま以上の気持ちで事件に触れることはできない気がしている。もちろん当事者として、現地に住む友人はいるので彼らの話を聞くことでより身近に感じることはできるだろうが、事件の記憶に触れなければ事件を感じることは出来ない。

少し日が経ってしまったが、今からでも関連ニュースを追っておこうという思いが湧いてきている。後に総括や様々な考察が出てきたり、事件のてん末が明らかになったりするだろうが、リアルタイムの空気に触れることはリアルタイムでしかできないことだから、多少なり関心を持とうという気持ちが芽生えてきている。