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かつては日々の食事メモでした。

小さな失敗

当方、ドがつくほどの小心者でした。

失敗を恐れず立ち向かえる人は強い。いい意味での無神経さを持ってる人が羨ましい。ガサツな人の自由気ままさが欲しい。かつて鈍感力なる本がにわかに流行ったように、適度に間が抜けてる方が人生楽に過ごせるんだろう。そうに違いない。私自身は、石橋を叩いて叩いて結局渡らないような人間であり、そういう図太さが自分にもあったらいいのになといつも思ってしまう。やはり隣の芝生は青いのである。もちろん、飲酒中はこれに限った話ではないが。

失敗をすることの何を恐れているのか。怒られることや恥をかいて顔が熱くなることがすごく嫌なんだろう。要は単なる見栄っ張りであり、捨ててもいいようなプライドを最後まで大事に抱えてしまうのである。断捨離ができないのである。やってみたら意外とうまくいった経験が少ないことも余計にそれを助長している。試行回数が少ないのだから分母は当然小さいはず。それなのに絶対的な回数のみに着目してしまう。そうして成功体験の乏しさを嘆いているのが、ほかならぬ私なのである。

失敗を恐れないマインドをいかに磨くか。ただ向こう見ずなのはもちろん良くないが、縮こまって何も成果が出せないのは更に嘆かわしいことだ。それを乗り越えようとは思わないが、今よりはマシだと思える境地には至りたい。贅沢者め!でも事実なのだから仕方ない。じゃあどうすりゃいいの?って話だが、小さな失敗なら意外と怖くないかもしれない。そう思うことにした。失敗の大小なんてコントロール出来んの?いやいや、ともかく小さな失敗。小さいと自分が思うレベルの失敗。それをかましてみよう。プチミスを積み重ねながら世界に対するハードルを下げることにしよう。

大きな失敗をしてしまうのはリスキーだ。若いうちは買ってでもしろと言うが、正直言って売れるものなら売ってしまいたい。失敗を押し付けて金がもらえるなんて最高だ。普段温厚な人も、大失敗の前にはイラついてしまうかもしれない。大失敗とは脅威だ。小心者はそれを考えるだけでも怖くなってしまう。じゃあ小さい失敗ならどうだろう。わざと失敗しろと言っているわけではない。多少ミスっても大丈夫そうなレベルのものを1発ぶちかましてみる。沸点の違いはあれど、周りの人々は意外と許してくれるだろう。これをもってハードルが3ミリ下がるのだ。

同じ失敗の繰り返しは避けるべきである。というより失敗自体何度もするものではない。それでも、やるっきゃない。ちまちまぶちかまそう。ぶちかましてハードルを下げよう。限界を探り限界を拡げよう。そうして俺は"小"心者から"中"心者になるのだ。それが原動力だった。そして結果から言えば、小さな失敗なら意外と怖くないと思えたあの日、私はすでに中心者だった。今でも他人様より慎重で気にしいのままだが、それでも、その小さな変化は喜ばしいものである。だから、一応成功だったのかなと今にしてみれば思う。とりあえず失敗しちゃおう。あとは流れに身を任せるくらいがちょうどいいのかもしれない。