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かつては日々の食事メモでした。

明日やれることは明日やればいいのか?

いま残っている仕事を今日のうちに終わらせてしまえば明日少し楽になるのではないか?そんな考えから退社が遅れることになるが現実には明後日やればいいことを明日やる羽目になるだけである。例えば町のゴミ拾いを想像してみると、明日拾えば良いゴミを今日拾うことでゴールが早まればそれは目論見通りと言えるが、実際にはゴールまで歩く距離を増やされたり道により一層ゴミを捨てられたりするのが関の山である。

大事なのは納期であり重要度と緊急度のバランスである。納期が先の作業や緊急性は高いが全く重要でない(あるいは容易にリスクヘッジできる)ものについては今日中に終わらせる必要は実は全くない。キリの良さを重要視する場合その限りではないがそれはあくまで個人の性格の問題であり明日やれば済むのであればそれで十分だと私は考える。もちろんこれはステークホルダーがごく限られた範囲、理想的には個人だけで閉じている場合の話である。明日やるのでもOKだが今日中に終わらせることでハッピーになる他者や組織が在るならば一考の余地があるかもしれない。あるいは、明日でも良いと言ってはいるがそれは最悪のケースであり極力すぐにでも実行に移して欲しいと作業依頼者が望んでいるケースもある。

前置きが長くなったが私はいま「なるべく今日中に終わらせて欲しいが最悪月曜日でも良い」と上司より仰せつかっているミッションを抱えている。それを聞いたのは今日の午後であり私は年休の真っ只中であった。当然無視して然るべきだが実は私自身そのミッションを本日中に完遂せねばならない、つまり夕刻よりオフィスに立ち寄りチョロッと働かなければならないという後ろめたさにも近い使命感を持っていた。

当該のメッセージ《月曜日でも良い》を受信した私はオフィスに行くことを辞め月曜日に実施することを決めた。これは私の性格に起因する意思決定である。明日やれることは明日やればいいという本稿のタイトルを正当化するものではない。なぜならば私が下した決断により月曜日の早朝から出社しそれに上司も巻き込むことになるからである。本日中にほんの15分作業をすればかような手間は省けるし、何より私はいま職場の隣のビルで開催される飲み会に向かっている最中である。それを拒むのは、私服姿を職場のメンバーに見られるのがなんとなく嫌だなぁという、本稿の主題とは全く関係ない理由によるものであることを、最後に付け加えておく。