ツイッター以上ブログ未満

かつては日々の食事メモでした。

連日酒を飲んでいる

この楽しさを忘れないよう、飲酒から得られた快楽や幸福を一過的なもので終わらせないよう、飲み会の楽しい記憶を記事として残していこう。なるほど、これは決意に近い何かかもしれない。写真を撮るように、アルコールが灯す一瞬の蜃気楼を切り取るのだ。いや、あるいは独り言に近い何かかもしれない。言いたいことを言う、書きたいことを書く、それでこそインターネットだ。将来自分が身体を壊したとき、酒が飲めない身体になったとき、「まぁあのとき思い切り飲んだしもう後悔はないよね」と笑顔で振り返れるためにも、日々の一杯一杯を抱きしめながら、楽しかったあの飲み会に還れる手掛かりを残していくことが大事なはずだ。話の内容はなんでもいい。そのとき楽しいと思える瞬間瞬間を連想してるに過ぎないのだから。酒に酔った状態においては、時代性や普遍性の伴うガチトークには何の重きも置くことができない。大事なのはそのときどう思ったかであり、刹那的に浮かびは消えるラブとピースの連なりなのである。インプロビゼーション感をスナップショット的に残していく。それが出来れば二つの意味で少しだけおもしろいはずだ。

今日は職場付近の飲み屋がいよいよもってノーフューチャーで、実は三駅隣のあそこに可能性が広がっていたことがわかった。具体名は避けるが大きな発見だった。ノーフューチャーとはワンチャン感と同義であるけれども、いやしかしそれにしても、後で読み返した自分に伝われば十分と思い何もかもぼかして書いてみたが、うーん、いま酔ってるしな、後から読み返しても詳細を思い出せない可能性が多分にある。でもまあいいか。家に着いたしあったかくして寝よう。あそこをああ行ってああしてあそこをそれしたそこ。明日の自分が状況を理解できたら、その店はホンモノだ。よし、ささやかな希望を持ちつつ、ひとまず寝るか。