ツイッター以上ブログ未満

かつては日々の食事メモでした。

学ぶことについて

興味を持ったことを少しずつ学ぶことはできる。ググって済むレベルの内容であればほとんど抵抗なく取り組むことができる。そんなことが分かってきた。つい最近の話である。

体系だって学ぶことは不得手かもしれない。ひとつの領域にフォーカスしつつ、ある活動を通じて特化的に知識を身につけていく。そういった類の営みはおそらく問題ない。研究者気質があるかもしれない、という話は2年ほど前に書いた。ただし「体系的に」と冠がつくとそれが途端に困難になる。何故だろうか。

ひょっとするとこれは心理的な問題かもしれない。はじめから風呂敷を広げすぎなのだ。あるいはハードルを上げすぎなのだ。量的にも質的にも。もちろん心理的にも。ゴールを高く見据えすぎだとも言えるだろう。恐らくそういうことだ。いや分からないけども。

自分にとって効率の良い、断念しなくて済む、あるいは性に合っている学習スタイルとは何なのだろう。サイコロジカルなリサーチャーたちがその答えを出そうと数多の研究を行なってきていることは少しだけ知っている。人々の学習スタイルや物事の覚え方にはどのような特徴があるのか、そういう人にはどのような教え方が合うのか。昔、そういったテーマで以前研究をしていた知人がいた。その関係でぼんやりと記憶に残っているのだろう。無論、きちんと思い出せないのでこれ以上の思察は不毛である。

閑話休題。自分に合った学習スタイルとは何か。興味を持てれば、ちょっと調べて済むようなボリューム感であれば。このあたりがポイントなのだろう。まずは如何にして興味を持つか。これは必要に迫られない限り無理なので諦めよう。いや、時期が来るのをじっと待とう。常に何かしらに興味は向いているのだから、そのことに集中していれば当面はいいのだ。

打算や下心で手を出しても大して成果を出せないことはわかっている。将来のために何かすることができないのだ。今のために何かすることしか、恐らくできないのだ。ではボリューム感はどうだろう。これは初手が大事だと思われる。プロジェクトマネジメントの言葉を借りればスコープ管理という言い方もできるかもしれない。学ぶ範囲をある程度絞るよう意識するのだ。はじめから風呂敷を広げすぎてはいけない。

いま自分は何に興味を持っていて、何を学びたいと考えているのか。その点を整理せねばなるまい。とりあえず今したいことを挙げてみよう。カーリングが面白かった。推理モノの邦画ドラマが面白かった。そんなところだろうか。

ならば今夜やることは決まったも同然だ。まずは面白そうな推理ドラマを同定する。リストアップする。その中でHuluあるいはAmazonプライムにあるものを特定し視聴する。脚本家の名前をWikiることを忘れてはいけない。あとはLS北見のホームページを見る。いやこれはもうやったな、今日の日中に。本橋選手の身長は160cm。だからなんだってんだ。