ツイッター以上ブログ未満

かつては日々の食事メモでした。

今から帰って洗濯を

するかしないか、その選択を迫られている。風呂は命の洗濯かもしれないが、明日着ていく服がない以上、明日の服が選択できない以上、優先されるべきは服の洗濯である。そう、命の洗濯は二の次。そんな選択は洗濯の前には無力。心を洗う前にまず洗うべきは下着であり、洗われた下着がタンスに戻れば心も洗われるというものである。

先週末、洗濯そっちのけで暴飲に走った自分の選択は誤っていたのだろうか。いや誤っていたのだろう。洗濯を選択できない弱さが、その選択が、今朝の疲労感へと繋がったのだ。昨夜、選択すべきは洗濯であり、洗濯という選択を選択できなかった自分に、洗濯を選択する資格はないと言えるだろう。いや、それもまた過ぎた話か。

先刻、直帰するのかしないのか。洗濯するのかしないのか。そんな選択に揺れていた。しかし、あー俺ってば流されやすいからね。あろうことか居酒屋に立ち寄ってきてしまった。何たる選択。しかしそれもまた人生。いや分かっていたけど。いやーでも、酒を飲むときって、居酒屋を選択するときって、洗濯のことなんて忘れるね。完全に忘れてました。おかげさまでそこそこいい時間です。

さて蓋を開けてみれば。週末の反省が活きたのか、暴飲は避けながら、しかしてそれなりに酒は進み、ほろ酔い気分で帰宅の途。本日の戦績、生中2杯ハイボール2杯。しかしこの選択、意外にも心を洗濯することになった。衣類にタバコの匂いがつくことも無く、洗濯無用。泥酔もしていない。うーんいいぞ。心の洗濯。いやー心が洗われたな。この清々しい気分でもって、家に着いたらいよいよ洗濯をする。今はその選択しか見えない。