ツイッター以上ブログ未満

かつては日々の食事メモでした。

自分は案外、研究者向きなのかもしれない

と、ふと思う瞬間がある。そんなことを書くと現役の研究者たちに怒られるかもしれないが。

アカデミアが狭く険しい道だという事実は今回考えないことにする。研究者としての生業ではなく、気質の話がしたい。いかに研究者として大成するかやその生き方の話はしない。したくない。私自身の話がしたい。もちろん、世に向けて何か問いかけるような内容にもならない。

色々なことを浅く広くかい摘むのが合っている人間だと思っていた。現に飽きっぽいし、何かを極めたこともない。だから研究者の道を歩むという選択は自分の中にはなかったし、当面その見込みもない。しかしどうやら、そうではない一面も持ち合わせているようなのである。

ひとつのことにじっくり向き合うのも意外と好きなのかもしれない。家までの道中、そんな考えがふと頭をよぎった。何か極めたことはないがとことん突き詰めるのは嫌いじゃない。パワポ作りはいつまでも微修正を続けてしまう。安心できるまで終わりにできない。そういう意味での研究者気質である。それが自分にはあるような気がした。

研究活動でツライのはテーマを決める段階だと思っている。初期の、発散段階は楽しい。ブレストっぽくああでもないこうでもないと思案する。そこから一転、収束に向かうところが難しい。しかしそこが決まればあとはとことん突き詰めればいい。テーマが決まるとその後は基本的にすごく楽しい。

データ収集や分析を伴う作業も実はそんなに嫌いではない。単調単純な作業が続いても問題ない。かつて2週間近くアンケート結果を入力し続けたときは小さく発狂したが、飽き性のわりにはあまり飽きなかった。結果が出ないと焦るが、それは勝ち目のない試合を挑んだ自分に非があると思うようにしている。

マルチタスクが嫌なんだろう。好きな人もさほどいないかもしれないが、ともかく私はシングルタスクに専念するのが好きだ。同時多発的に手を出すより、一個一個順々に片付けていくのが好きだ。その意味での研究者気質。

一度にたくさん抱え込んでしまうことの鬱陶しさ。すべてが中途半端になりそうな予感が、何かに専念できることの素晴らしさを思い出させてくれる。研究者に成ることはない。現時点では。しかし、少なくともその気質はある。そう思いたい。それが事実でなかったとしても、私は、何かひとつをとことん追求できる世界に、思いを馳せ続けるだろう。